
壽徳寺について
寺号:壽徳寺(じゅとくじ)
宗派:曹洞宗(そうとうしゅう)
山号:吉祥山(きちじょうざん)
ご本尊さま:聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)
参考記事
【曹洞宗とは?】一仏両祖のお教え
壽徳寺 由緒
壽徳寺は室町時代の明徳元年(1390年)念阿護法和尚によって開かれました。
念阿護法和尚は禅宗の発展を目指し、その礎を築かれましたが志半ばで嘉吉元年(1441年)にご逝去なされました。
その後、この地にきた佐伯一助道永勇士が念阿護法和尚の無念を払う為、大乗経で毎日ご供養しお寺を護持されました。
しかし、天文10年(1541年)3月に佐伯一助道永は陸奥にて戦死してしまいました。
同年の10月に曹洞宗の高僧である日舜宗慧大和尚が、念阿護法和尚と佐伯一助道永勇士の志を受け無念を払いご供養し、念願であった禅宗寺院として再興されました。
佐伯一助道永の嫡男である佐伯参阿守道也は、父のご遺骨を丁重にご供養し壽徳寺の発展を支えました。
寺号の由来は、念阿護法和尚の念願でもあった禅宗寺院が日舜宗慧大和尚によって開かれたことを大変喜び祝したことから「壽徳寺」と寺号を改められたといわれております。
また、この時に日舜宗慧大和尚の入寺を喜び、亡くなったはずの念阿護法和尚が現れ礼を尽くし「吉祥、吉祥、吉祥」と三度呼したということから「吉祥山」という山号になったといわれております。念阿護法和尚の開かれた場所という意味で「護法院」という院号もございます。
約630年以上の歴史を伝え、境内に多摩の原風景を多く残した市内に現存する最古の寺院です。
中世よりこの地域と関わりが深く、東寺方(旧 寺方村)という地名の由来になったともいわれております。
また、この付近の地域には、江戸時代の禅僧として有名な良寛さまの師匠である大忍国仙大和尚という方がいらしたこともあり、良寛さまの兄弟弟子も多くいらっしゃいました。
この兄弟弟子の方々は、壽徳寺の歴代住職をされ寺門隆盛にご活躍されました。
そして、長い年月の中では当時の有力者として相澤氏、市川氏、伊野氏、井上氏、佐伯氏などの菩提寺としても歴史を重ねてまいりました。
その中には、江戸時代の後期に関戸村の名主をつとめた父 相澤五流(あいざわごりゅう)と子 伴主(ともぬし)がおられます。
五流は絵画、伴主は生け花の才能があり広く名を知られた文化人でした。
その他に、歴史的資料としてご仏像や墓石など多くのものが現在も保管されております。
また、多摩十三佛霊場 第十二番 大日如来さまをお祀りしております。
多摩十三佛霊場のご朱印は第二次世界大戦50回忌のご供養と世界平和を祈念しており、後世へ末永く伝える目的もございます。
その他にも、薬師如来さまや放光菩薩さま、お地蔵さまなどのご仏像も境内に安置されておりますのでご自由にお参りください。
壽徳寺のタヌキ
壽徳寺の境内には古くからタヌキが生息しています。
「平成狸合戦ぽんぽこ」の舞台にもなりました多摩ニュータウンにお寺があり、夜になるとほぼ毎日タヌキがあらわれます。
年々世代交代をし、子ダヌキを連れていることもあり温かく見守っております。
映画のタヌキのように変身はしませんが、たまに昼間にあらわれてお参りの方を驚かせます。
お立ち寄りの際には姿を探してみてください。